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人文学
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工学部総合人間学系教室

双児宮の名称変化

工学部

総合人間学系教室

米田研究室

米田達郎 准教授

語彙の変化をヒトが意図的に起こすことはない。自然に変化していくものである。しかし、十二宮の名称は明治になってから学術的に変化する。これはギリシア神話とも密接に結びつくかとも思われるが、何よりも世界基準に合わせるということもあると思われる。ここでは、双児宮の名称変化について、幕末から明治にかけて陰陽宮・双兄宮・双女宮が双児宮へと変化する過程を記述的に確認しつつ、双児宮へと名称変化した背景について考察する。 本研究では、理科学語彙の歴史的な変化を取り上げているが、それは生活語彙・教育語彙の変化ともいえる。多方面に派生する研究の一側面である。

双児宮の名称変化―幕末から明治・大正期を中心にー

1 「坤輿万国全図」(1602)マテオリッチ作
 白羊・金牛・双兄・巨蟹・獅子・室女・天秤・天蝎・人馬・磨羯・宝瓶・双魚

2 「天経或問」(1675)遊子録
 白羊宮・金牛宮・陰陽宮・巨蟹宮・獅子宮・双女宮・天秤宮・天蝎宮・人馬宮・磨羯宮・宝瓶宮・双魚宮

上記2つの資料は日本でもよく読まれており、ここでの名称はその後の天文学書でも使用される。例えば次の3・4である。

3 「天文図解」(1688) 井口常範
 白羊宮・金牛宮・双兄宮・巨蟹宮・獅子宮・室女宮・天秤宮・天蝎宮・人馬宮・磨羯宮・宝瓶宮・双魚宮

4「西域物語」(1798) 本多利明

 宝瓶宮 双魚宮 白羊宮 金牛宮 陰陽宮 巨蟹宮 獅子宮 室女宮 天秤宮 天蝎宮 人馬宮 磨羯宮

5 「大略天学名目抄」(1712)西川正休
 磨羯宮・人馬宮・天蝎宮・天秤宮・双女宮・獅子宮・巨蟹宮・陰陽宮・金牛宮・白羊宮・双魚宮

6「遠西観象図説」(1823)
 白羊宮・人馬宮・宝瓶宮・双兄宮・双魚宮・磨羯宮・天秤宮・天蝎宮・金牛宮・巨蟹宮・獅子宮・室女宮

陰陽宮と双兄宮とが、江戸の天文を扱った書物に使用されているのがわかる。この二つのことが明治時代以降まで続くと思われるが、実際には双女宮が使用される。むしろこちらが主流になるようにも見える。

7「新制天地二球用法記」(1792)本木良永
 白羊宮・金牛宮・双女宮・巨蟹宮・獅子宮・室女宮・天秤宮・天蝎宮・人馬宮・磨羯宮・宝瓶宮・双魚宮 

8「気海観瀾広義」(1851) 川本幸民
 白羊宮・金牛宮・双女宮・巨蟹宮・獅子宮・室女宮・天秤宮・天蝎宮・人馬宮・磨羯宮・宝瓶宮・双魚宮

ここに挙げた資料だけではなく、同時期の青木昆陽「和蘭文字略考」、宇田川榕庵「蘭学重宝記」、森島中良「蛮語箋」でも双女宮である。現在の乙女座を示す処女宮は江戸時代では双女宮である。ここから用例7・8の双女宮は本木も川本もどちらも間違えたのではないかとする説明がある。二人とも一級の学者であり、双兄宮と書き間違えたとするのは早計に思われる。ここでは現在の双児宮について、双女宮という言い方もされていたことを確認して奥に留める。

⇒19世紀中頃、幕末頃では、陰陽宮・双兄宮・双女宮が併用されていた。

9「訓蒙窮理問答」(1872) 後藤達三 編述

 白羊宮・金牛宮・双女宮・巨蟹宮・獅子宮・室女宮・天秤宮・天蝎宮・人馬宮・磨羯宮・宝瓶宮・双魚宮

10「星学捷径」(1874)年 関藤成緒 訳 文部省出版
 白羊宮・金牛宮・双女宮・巨蟹宮・獅子宮・室女宮・天秤宮・天蝎宮・人馬宮・磨羯宮・宝瓶宮・双魚宮

11「天文地学講話」(1909)年 横山又次郎 早稲田大学出版
 白羊宮・金牛宮・双女宮・巨蟹宮・獅子宮・室女宮・天秤宮・天蝎宮・人馬宮・磨羯宮・宝瓶宮・双魚宮

明治時代になると、双女宮が多く使用される。確かに次のように、双兄宮もあるものの、文部省などから出版されている教科書に双女宮が使用されていることを踏まえれば、双女宮が明治時代では優勢であったと考えられる。

12「訓蒙天文略論」 (1876)林董譯述
 白羊宮・金牛宮・双兄宮・巨蟹宮・獅子宮・室女宮・天秤宮・天蝎宮・人馬宮・磨羯宮・宝瓶宮・双魚宮
13「泰西名数学童必携 巻之1」(1879)加藤高文
 白羊宮・金牛宮・双兄宮・巨蟹宮・獅子宮・室女宮・天秤宮・天蝎宮・人馬宮・磨羯宮・宝瓶宮・双魚宮

 一戸直蔵は1910(明治43)年の『星』の中で次のように述べている。

  西洋では天空上太陽の行く道の近傍一帯を獣帯又は黄道帯と称して、之を十二個の星座に分

  ち、(中略)近頃我国の天文学者一同の評議で訳語を一定したから、其方を主として従来の

  は併せて記すこととした。 
  牡羊〈白羊〉 牡牛〈金牛〉 双子〈双女〉 蟹〈巨蟹〉 獅子〈獅子〉 処女〈処女〉
  天秤〈天秤〉 蠍〈天蝎〉 射手〈人馬〉 山羊〈磨羯〉 水瓶〈寶瓶〉 魚〈双魚〉

一戸直蔵は日本天文学会を創設した人物の一人である。それなりに影響力もあり、1910年(明治43)には学術的な判断で双女宮から双児宮に変更したと考えられる。

 ただし、現代でもそうであるが、学会の意向が一般に浸透するまでには時間がかかる。実際に双女宮が1910年に以降になくなったかといえばそうではない。
14「星のしるべ」1923年(大正12)
 【双女座】ジェミニ 金牛座ノ畢五ヨリ東方ニ當リ【中略】北河二ハ一名(カストール)ト云

 ヒ北河三ハ一名 (ボルロックス)ト云フ。

この書籍は、大正時代に出版された子ども向けのものである。そこでは双児宮の由来についてギリシア神話を用いて説明している。カストール、ボルロックスは男性である。男性であると分かっているにもかかわらず、名称は双女宮のままである。

☆「双子」が選択された背景について

双子の概念自体は古来日本にもあった。

「日本霊異記」に「母屋裏。二子見」とあり、「覧富士記」(中世日記紀行集)に「なほ万代遠くおぼゆべき富士のよそめの今日の面影二子塚と申し侍りし所にて」などある。「書言字考節用集」にも「孿(ふたご) 双兒」(四巻55)とある。18世紀初頭に活躍した近松門左衛門は「双生隅田川(ふたごすみだがわ)」と題した時代浄瑠璃を執筆している。

また、十二支との関係である。十二支には重複する動物がいない。それに対して明治時代の双女宮と室女宮では、いずれも女性をモチーフにしている。十二宮は動物もモチーフにされるが、十二支と同様に重複するものがない。そこで室女宮は小女宮などといわれていたこともあってそのままにし、ギリシア神話の男性二人を対象にしていた双女宮を双児宮へと変えたのではないかと推察される。

つまり、ギリシア神話の影響・古来から双子の概念があったことが要因となって、双児宮が使用されるようになったと考えられる。

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