・学会・業界における位置づけ
本応募者が属する空間デザインの分野では,2020年度に「建築情報学会」が発足するなど,建築および空間デザインにおける情報学の重要性がより高まっているとともに,建築学と情報学との連携,融合による新しいデザイン手法の可能性などが模索されている。しかしながら,こうした取り組みの多くが,建築設計者のデザイン支援システムの構築や,新たな造形アルゴリズムの開発などであり,いわば建築設計者目線での研究が大半であるといえる。このなかで,本応募研究は,空間デザインの大半が対象とする公共社会(一般利用者)への情報学の貢献可能性を探求するものであり,上欄での記載の通り,実空間の公共性,公益性にも通じるような,仮想空間の客観化による共同利用,共同構築という,共創への道を開くものであるといえる。
・環境分析
今日の建築学,空間デザイン学におけるVR/ARコンテンツの利用機会の多くは,計画中の建築物や内装デザインを仮想的に閲覧するものや,老朽化などのため取り壊される建築物を3Dデータとしてアーカイブするものなどが大半である。しかし,それらがVRとして表示される場合は閉鎖的な仮想空間での表現にとどまり,必ずしもサイトスペシフィックなものではなく,また,ARまたはMRとして示される場合も,すでに完成されたコンテンツを現実空間上に重ね合わせて表示していることがほとんどであり,リアルタイムに編集されたり,更新されたりするものではない。このことはたとえば,従来の辞典や辞書のコンテンツが,紙媒体として閲覧されるか,デジタル媒体として閲覧されるかの違いに例えることができ,その両者ともが,すでに完成されたコンテンツを閲覧することにとどまっている点では同じことであるといえる。すなわち,建築学,空間デザイン学におけるVR/ARコンテンツの利用は,こうした例と同じように,現状のところ現実空間と仮想空間が十分にインタラクティブに連関しているとは言い難い。ここで辞書コンテンツの例にもどれば,本研究で着目するのは,オープンソースとしてリアルタイムで編集,共有される,Wikipediaのような新たな知の共創プラットフォームである。すなわち本研究では,完全な仮想空間化ではなく,現地,現時点(「いま・ここ」)における現実空間の身体経験に重ね合わせられてこそ意味をもつような,現在進行系での空間情報プラットフォームの構築を試みる。
先行事例としては,アーティストのライブ会場のその場において,観客全員がゴーグルなどを装着することなくAR映像をリアルタイムで全方位から鑑賞できるシステムの開発(図3,真鍋大度,花井裕也,AR/VR技術によるライブ映像演出,電気情報通信学会IEICE会誌,第103巻第6号,pp.564-570,2020年6月)などがある。他には主観視点の客観的統合表現の手法として、ソニーコンピュータサイエンス研究所と山口情報芸術センターが研究開発をおこなった「視点交換」によって人の近くを拡張する「Parallel Eyes」、SynergisticMuseum:博物館来館者同士の視点交換に着目した展示見学支援手法の提案(情報処理学会, 佐藤 美祐, 西本 一志, インタラクション2017論文集, 2017, pp.308-313)などがある。いずれもライブの演出アートなどの表現分野での取り組みが主になっている一方で、複数視点による鑑賞という技術の点では本研究の先行研究として参考になる研究も近年数多く積み重ねられてきている状況にあり,その注目度の高さを認めることができる。